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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)2332号 判決

昭和六〇年(ネ)第二六三一号控訴人・同年(ネ)第二三三二号事件被控訴人(以下「第一審原告」という。) 丸山いし

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 飯野春正

同 大塚武一

同 田見高秀

同 樋口和彦

昭和六〇年(ネ)第二三三二号事件控訴人・同年(ネ)第二六三一号事件被控訴人(以下「第一審被告」という。) 日動火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 佐藤義和

右訴訟代理人弁護士 高崎尚志

同 君山利男

主文

原判決中、第一審被告敗訴の部分を取り消す。

第一審原告らの請求を棄却する。

第一審原告らの本件控訴及び当審において拡張された請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める判決

一  昭和六〇年(ネ)第二六三一号事件について

1  第一審原告ら

(一) 原判決を次のとおり変更する。

(二) (左記(1)(2)のいずれかの択一的請求)

(1) 第一審被告は、第一審原告ら各自に対し、それぞれ金六六六万六六六六円及びこれに対する昭和五七年四月一五日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え(右附帯請求は当審において拡張されたもの)。

(2) 第一審被告は、第一審原告らに対し、同原告らの連帯債権として金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五七年四月一五日から支払いずみまで、年五分の割合による金員を支払え(右同)。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告の負担とする。

(四) 仮執行の宣言

2  第一審被告

主文第三項同旨

二  昭和六〇年(ネ)第二三三二号事件について

1  第一審被告

主文第一項、第二項及び第四項同旨

2  第一審原告ら

控訴棄却

第二当事者の主張

次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決二枚目裏六行目の「責任保険の前に「自動車損害賠償」を加える。)。

一  第一審原告ら

1  本件交通事故によって生じた損害額は、次のとおり、自動車損害賠償責任保険損害査定要綱(以下「要綱」という。)第三の定める査定基準によって算定しても、また、実額によって算定しても、いずれにしても自動車損害賠償補償法施行令の定める死亡保険金額二〇〇〇万円を超えるから、右保険金額全額が支払われるべきであり、仮に本件が要綱第五の2にいう「受傷と死因との因果関係の認否が困難な場合」に当たるとしても、少なくとも右保険金額の五〇パーセントに当たる一〇〇〇万円が支払われるべきである。

(一) 要綱に基づく査定損害額三二三一万一六六八円

(1) 葬儀費三五万円

(2) 逸失利益二三九六万一六六八円

精一は死亡当時五四歳であったから、要綱所定の平均給与額は月額三一万二八〇〇円であり、可働年数一三年(新ホフマン係数九・八二一)、生活費割合三五パーセントとすると、逸失利益は二三九六万一六六八円となる。

(3) 慰謝料八〇〇万円

精一分二〇〇万円及び遺族分(請求権者三名、被扶養者あり)六〇〇万円

(二) 実額による損害額二八七六万五五九二円

(1) 葬儀費七〇万円

(2) 逸失利益一三〇六万五五九二円

精一の死亡当時の実収入額は月額平均一七万〇五七八円であったから、可働年数及び生活費割合を前記同様とすると、逸失利益は一三〇六万五五九二円となる。

(3) 慰謝料一五〇〇万円

第一審原告ら各自につき五〇〇万円宛

2  右のとおり第一審原告らに支払われるべき保険金額二〇〇〇万円を各自の相続分に応じて按分すると、第一審原告ら各自がそれぞれ六六六万六六六六円宛を請求しうることになるが、右二〇〇〇万円全額につき第一審原告らの連帯債権として一括請求することも可能であると解されるので、この両者を前記第一の一1(二)のとおり択一的関係において請求する。

3  右2の請求額に対する本訴状送達の翌日である昭和五七年四月一五日から支払いずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める(当審における請求の拡張)。

二  第一審被告

精一は、昭和一七年ころ肺膿瘍手術を受け、その後遺症として慢性肺性心及び慢性気管支炎を有していた。本件交通事故による外傷により右慢性肺性心及び慢性気管支炎が一時的に症状悪化をきたしたとしても、昭和五五年二月四日退院した当時には既に事故以前の状態にまで復元しており、外傷性の侵襲は解消されていた。ところで、慢性肺性心では突然死することがあり、精一のように肺活量が正常人の二七パーセント程度しかない者は、心臓に対する負担が大きく、気管支炎などにより呼吸に障害が生じると心機能にすぐ影響するのであり、肺性心があれば代償不全に陥り、突然死を招来することが珍らしくないのである。本件における精一の死亡も、その病状の推移からみて、既往症である慢性肺性心による突然死であり、本件交通事故との間に相当因果関係はない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  精一が昭和五四年九月一〇日本件交通事故により右大腿骨々折及び右足関節三踝部骨折の傷害を負い、直ちに入院して手術を受け、昭和五五年二月四日退院したが、同年四月一四日、心不全により死亡したこと、右交通事故の相手方車両(訴外小室幸運転の普通乗用自動車)については第一審被告を保険者とする自動車損害賠償責任保険契約が締結されていたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件交通事故と精一の死亡との因果関係の存否について判断する。

《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  精一は、昭和一七年ころ(一六歳ころ)肺結核及び脊椎カリエスによるとみられる肺膿瘍の手術を受け、その後遺症として慢性肺性心及び慢性気管支炎を患っていた(右疾患を有した事実は当事者間に争いがない。)。慢性肺性心とは、心臓自体には原因がないが、肺の機能又は構造に影響を与える疾病の結果起った右心室の肥大をいい、呼吸困難、咳、痰、チアノーゼ、頸動脈怒張、顔面及び四肢の浮腫、肝腫大などを主徴とし、ついには心不全を起すに至るものである。肺疾患による慢性呼吸不全は、種々の原因によって急性増悪することがあり、急性増悪は予後に影響を与える。

2  精一は、昭和四八年三、四月ころ肺性心の急性増悪により群馬県の利根中央病院に一〇間ほど入院したが、退院後は本件交通事故当時まで二週間に一回くらい継続的に通院しており、この間前記慢性疾患特有の症状を訴えながらも木工所の職人としてほぼ普通に稼動していた。同人の肺疾患は重症で左肺はないに等しい状態であり、このため肺機能の低下、拘束性換気障害が著しく、肺活量は正常人の二七パーセント程度しかなかった。

3  精一は、本件交通事故当日である昭和五四年九月一〇日、群馬県の国立沼田病院で腰椎麻酔により約二時間を要して前記骨折の手術を受けた。そして、同日から同月二四日ころまでは喘鳴、呼吸困難、咳、痰、顔面及び左上肢浮腫など前記慢性疾患が急性増悪した兆候がみられたが、投薬治療(同月一三日には国立沼田病院から利根中央病院に従来の処分内容を問い合わせて対応した。)の結果一般状態は改善され、その後は右の症状及び愁訴はなくなった。同年一〇月一九日、腰椎装具付長下肢装具を装着して起立訓練を開始し、以後装具固定のまま次第に歩行可能となり、同年一二月一四日には腰椎装具を外して長下肢装具だけで歩行可能となった。その後の経過も良好で、昭和五五年二月四日長下肢装具固定のまま退院した。

4  精一は、退院後自宅で療養し、二週間に一回くらい国立沼田病院に通院して前記慢性疾患についての指導及び投薬をも受けており、呼吸困難とか胸の苦しさなどを訴えたことはなかった。同年四月一〇日に通院した際に三月下旬ころから咳、痰など急性気管支炎の症状がみられたので、抗生物質の点滴や強心薬等の投与を受けた。同年四月一四日、精一は、特に変ったところもなく家族と夕食を終え、同日午後九時ないし一〇時ころ用便に立った際、便所内で突然昏倒し、救急車で搬送されたが、既に心停止、呼吸停止の状態であり、蘇生しなかった。

以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  ところで、《証拠省略》によれば、一般に、肺と心臓の関係は、肺が障害されてガス交換が不十分になっても、心臓がこれを代償して生体組織内での酸素と炭酸ガス分圧を保とうとし、逆に心臓が障害されても、呼吸器はある程度これを代償するものであるが、この代償に過分の負荷が加わった状態になると、心不全や呼吸不全が生じること、精一のように肺活量が正常人の二七パーセント程度しかない場合には、心臓に対する負担も大であり、気管支炎などにより呼吸に障害を生じると、心機能にすぐ影響し、その心臓に肺性心の疾患があれば、代償不全に陥り、突然死を招来することも珍しくないことが認められる。

しかるところ、前記の認定によれば、精一の慢性肺性心は、以前からかなり重篤であり、それが本件交通事故による外傷性の侵襲によって急性増悪したものの、二週間ほどで回復し、その後は格別の症状や愁訴が何もないまま約半年を経過したが、昭和五五年三月下旬ころから急性気管支炎を発症して同年四月一四日に急死するに至ったというものである。この推移を右に述べた医学的見地からみると、精一の死亡は既往症である肺性心による突然死であることが確実であり、しかも、本件交通事故を契機とした肺性心の急性増悪との間には経時的連続性を認めがたいので、右事故とは無関係に、事故前から存在した肺性心が死亡の原因を構成していると判断するのが相当である。

これに対し、利根中央病院で精一の主治医であった前掲証人富岡真一は、《証拠省略》及びその証人尋問において、精一の死因につき、(1)拘束性換気障害の強い精一が骨折のため下肢を固定され、一定の臥位を強いられたことにより、既存の肺胞低換気が更に障害され、炭酸ガス分圧の上昇及び酸素分圧の低下が起き、肺性心が事故前より増悪したまま復元しなかったこと、(2)大腿骨々折時に併発する脂肪塞栓により肺性心が増悪したこと、の二点を挙げている。そして、国立沼田病院で精一の骨折治療にあたった長谷川亘医師も、《証拠省略》において、骨折と持病の増悪との間にある程度の因果関係が認められるかもしれない旨の意見を述べており、また、《証拠省略》によると、長期間の臥位は換気機能を障害する因子となることが認められる。

しかし、右(2)の点が単なる推測にとどまるものであることは《証拠省略》から明らかであるし、また、右(1)の点についても、前記認定のとおり、外傷性侵襲による肺性心の急性増悪は二週間ほどで回復し、以後約半年間何ら増悪の持続をうかがわせる兆候がみられなかったこと、及び精一は手術後一か月余りから起立訓練、歩行訓練を行い、できるだけ臥床による拘束性障害の防止がはかられたことなどの経過に照らせば、臥位の拘束によって肺性心が事故以前より増悪し、その病態が持続したために死の転帰をとるに至ったものと認定することは困難であるといわざるをえない。《証拠省略》は、これと趣旨を異にする限りにおいてにわかに採用することができない。そして、他に本件交通事故と精一の死亡との間に因果関係のあることを肯認するに足りる証拠はない。

四  そうすると、精一の死亡は本件自動車損害賠償責任保険の契約車両の運行によって生じたものということができないから、第一審原告らの本件保険金の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないものというべきである。

なお、第一審原告らは、本件は少なくとも要綱第五の2にいう「受傷と死亡との因果関係の認否が困難な場合」に該当するから、保険金が減額支給されるべきであると主張するが、自動車損害賠償責任保険契約の趣旨から合理的に考えれば、右要綱第五の2は、交通事故による受傷と死亡との間に因果関係の存在することは認められるが、他の原因事実も競合しているなどの理由により、右受傷の寄与度を確定することが困難な場合にとるべき措置を定めたものと解されるのであり、受傷と死亡との間の因果関係そのものを認めえない本件のような場合にまで適用があるものとは解されないから、右主張は採用することができない。

五  以上の次第で、第一審原告らの本訴請求を一部認容した原判決は不当であり、第一審被告の本件控訴は理由があるが、第一審原告らの本件控訴及び当審における拡張請求は理由がない。

よって、原判決中第一審被告敗訴の部分を取り消したうえ、同部分について第一審原告らの請求を棄却し、また、第一審原告らの本件控訴及び当審における拡張請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中島恒 裁判官 佐藤繁 塩谷雄)

〈以下省略〉

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